不同语言的韵律和文法结构也不同,阅读原版日文带来的感觉也是不同于英译和汉译的,语言的幽微之处经对比才显山露水。经过一番苦役,我找齐了绝大部分原文,对于一名日语初学者来说,根据一贯喜欢补译的英译版逆推原文可能出现的词语,再从词语下手掘出古老的诗行,无异于一场场持久艰辛的推理。
现按书页顺序列出我找到的日语原文。个别几首我无法确定原文,不吝赐教。我也写下了对比英译时产生的疑问,欢迎讨论。
p 73. ——来自和泉式部
などて君
むなしき空に
消えにけむ
淡雪だにも
降れば降る世に
(书内英译和中译都很棒,初读即令我潸然泪下。)
などてきみ むなしきそらに きえにけむ あわゆきだにも ふればふるよに
p 75. ——来自和泉式部
黒髪の
乱れも知らず
うち伏せば
まずかきやりし
人ぞ恋しき
くろかみの みだれもしらず うちふせば まずかきやりし ひとぞこいしき
p 77. ——来自小野小町
いとせめて
恋しき時は
うば玉の
夜の衣を
返してぞ着る
(「烏羽玉の夜」是枕词,用来形容黑之夜,字典对烏羽玉的定义是“ヒオウギの種子;まるくて黒い”。本人查了ヒオウギ,檜扇,blackberry lily,鸢尾科鸢尾属,结的是浆果,不知作者为何确定它的果实是坚果,提出hiougi-nut一说并在译文版本里强调【壳】这一概念?就算此种浆果果壳稍厚,那也达不到坚果之硬。)
いとせめて こいしきときは うばたまの よのころもを かえしてぞきる
p 81. ——来自小野小町
花の色は
移りにけりな
いたづらに
我が身世にふる*
ながめ*せし間に
(*注意挂词:ふる → 降る / 経る;ながめ → 長雨 / 眺め)
はなのいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに
p 90. ——来自小野小町
今はとて
我が身時雨に
降りぬれば
言の葉さえに
移ろひにけり
( 「言の葉」是ことのは,「言葉」则是ことば,书中引用该诗之后提到koto no ba,应当是koto no ha才对吧。)
いまはとて わがみしぐれに ふりぬれば ことのはさえに うつろひにけり
p 93. ——来自松尾芭蕉
京にても
京なつかしや
ほととぎす
きょうにても きょうなつかしや ほととぎす
p 94. ——来自松尾芭蕉
閑かさや
岩にしみ入る
蝉の声
しずかさや いわにしみいる せみのこえ
p 98. ——来自小野小町
よそにこそ
峰の白雲と
思ひしに
二人が中に
早立にけり
よそにこそ みねのしらくもと おもひしに ふたりがなかに はやたちにけり
p 98. ——来自小野小町
霞立つ
野を懐かしみ
春駒の
荒れても君が
見え渡るかな
(十有八九是这首吧,尽管和书内的英汉译版有明显不同。)
かすみたつ のをなつかしみ はるごまの あれてもきみが みえわたるかな
p 99. ——来自小野小町
物をこそ
岩根の松も
思ふらめ
千代ふる末も
傾きにけり
(思ふ在书中被译成memories,本人觉得应该更贴近“感じる”或者“心配する”?)
ものをこそ いわねのまつも おもふらめ ちよふるすえも かたぶきにけり
p 101. ——来自和泉式部
【爱的屏风这首仍未找到原文QAQ】
p 101. ——来自和泉式部
物思ㇸば
沢の蛍も
我が身より
あくがれ出づる
魂かとぞ見る
(应该是这首。也许从英文考虑,fireflies里的fire和spark关联比较明显,所以舍弃了原文用的魂。)
ものおもえば さわのほたるも わがみより あくがれいづる たまかとぞみる
p 102. ——来自和泉式部
かくばかり
風は吹けども
板の間も
合わぬは月の
影さへぞ洩る
かくばかり かぜはふけども いたのまも あわぬはつきの かげさえぞもる
p104. ——来自小野小町
【应该仍未找到,不确定是否为以下这首,毕竟意思相差较大。】
みるめあらば
うらみむやはと
海人問はば
浮かびて待たむ
うたかたの間も
p 105. ——来自松尾芭蕉
水仙や
白き障子の
とも移り
(虽然大多写成移り,个人觉得遵照书内译版写成映り更合适。)
すいせんや しろきしょうじの ともうつり
p 106. ——来自松尾芭蕉
古池や
蛙飛び込む
水の音
ふるいけや かわずとびこむ みずのおと
p 109. ——来自藤原定家
見渡せば
花も紅葉も
なかりけり
浦の苫屋の
秋の夕暮れ
(书内译版均能看到花和红叶,用的look past和望过,可是有个なかり,应该是看不到才对?)
みわたせば はなももみじも なかりけり うらのとまやの あきのゆうぐれ
p 109. ——来自藤原定家
行き悩む
牛の歩みに
立つ塵の
風さへ暑き
夏の小車
いきなやむ うしのあゆみに たつちりの かぜさえあつき なつのこぐるま
p 110. ——来自藤原定家
枯枝に
烏のとまりけり
秋の暮れ
かれえだに からすのとまりけり あきのくれ
p 112. ——来自小野小町
色見えで
移ろふものは
世の中の
人の心の
花にぞありける
(书中引用该诗后提及「世の中」有“中间的世界”一意,非要说“间”的话,本人觉得“世界的中间”,即“世界里”会比较准确,而中文语境常用的是“世界上”。)
いろみえで うつろふものは よのなかの ひとのこころの はなにぞありける
p 113. ——来自和泉式部
【蟋蟀叫声这首仍未找到原文QAQ】
p 114. ——来自和泉式部
【常磐山这首仍未找到原文QAQ】
p 153. ——来自和泉式部
君をまた
かく見てしかな
儚くて
去年は消えにし
雪も降るめり
きみをまた かくみてしかな はかなくて こぞはきえにし ゆきもふるめり
p 159. ——来自松尾芭蕉
海暮れて
鴨の声ほのかに
白し
うみくれて かものこえほのかに しろし
p 159. ——来自松尾芭蕉
【夜鹭这首仍未找到原文QAQ】
p 159. ——来自与谢芜村
春雨や
蛙の腹は
まだ濡れず
はるさめや かわずのはらは まだぬれず
p 160. ——来自与谢芜村
夕風や
水青鷺の
脛を打つ
ゆうかぜや みずあおさぎの すねをうつ
p 161. ——来自道元禅师
【小船这首仍未找到原文QAQ】
插播p 184.里本人以为会有的Sylvia Plath的诗作Ariel
p 234. ——来自小野小町
山里に
荒れたる宿を
照らしつつ
幾代へぬらむ
秋の月影
やまざとに あれたるやどを てらしつつ いくよへぬらむ あきのつきかげ